好きなところ
~東京都文京区目白台~
田中角栄元首相が総理の座にあった頃、田中番の記者の車で賑わった目白通りから、少し入った住宅街に永青文庫がある。
ここは江戸時代末期から戦後にかけて、三万八千坪の広大な土地を持っていた細川家の下屋敷のあったところ。
この細川家に伝わる美術品や歴史的資料を一般に公開している博物館が永青文庫だ。
「永青」の名称は、初代藤孝の養家の始祖細川頼有から八代の菩提寺、京都建仁寺塔頭、正伝永源庵の「永」と藤孝の青竜寺城の「青」をとって、十六代護立がつけたものである。
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~東京都文京区目白台~
田中角栄元首相が総理の座にあった頃、田中番の記者の車で賑わった目白通りから、少し入った住宅街に永青文庫がある。
ここは江戸時代末期から戦後にかけて、三万八千坪の広大な土地を持っていた細川家の下屋敷のあったところ。
この細川家に伝わる美術品や歴史的資料を一般に公開している博物館が永青文庫だ。
「永青」の名称は、初代藤孝の養家の始祖細川頼有から八代の菩提寺、京都建仁寺塔頭、正伝永源庵の「永」と藤孝の青竜寺城の「青」をとって、十六代護立がつけたものである。
室町幕府管領の一門として、細川家七百余年の伝統を伝える所蔵品は、「時雨螺鈿鞍(鎌倉時代)」、「金銀錯狩猟文鏡(中国・戦国時代)」などの国宝や、重要文化財に指定されている「長谷雄双紙(鎌倉時代末期の絵巻)」楽長次郎作「乙御前(茶碗)」など逸品揃いである。
これらの美術工芸品のほかに、八代藩王として細川家中興の名君といわれた細川重賢の残した「昆虫胥化図」や「艸木生写」などの昆虫や植物の図譜は、博物学の歴史を知るうえでもなかなか興味あるものである。
重賢は一七四七年、二十八歳の時藩王になったが、当時窮乏していた藩の財政を見事に立て直した。
そして藩の財政の負担ともなっていた参勤交代の道中を、昆虫や植物の採集にあて、写生旅行として楽しんでいたようである。